合評会(中央大学茗荷谷キャンパス)
2025年3月12日
バークの説くconstitutionは形而上学的な背景を失い、政治社会についてのあらわなイデオロギーとならざるを得ない(福田 (1985), 450)
伝統や慣習が優越するところでは立法は不可能であるとした、バークはルソーとはまったく逆に過去から伝えられた慣習や先入見や人間の感情の自然、すなわち所与のものをconstitutionの支えとしてそのまま受け入れようとする。したがってバークはこのconstitutionという伝統的所与を自然の名で呼び、さらに神の摂理providenceに引照して聖別する。いうまでもなく、社会体制を自然の秩序とし、神の摂理に引照するのは、中世では最も普通の思想であった。ただそのときには、この社会体制の理解は、中世の世界観・宇宙像と結びついていた、けれども、バークの活動した18世紀末には宇宙像そのものがまったく変わってしまって、近代自然科学のうちたてた新しい世界像に移っている。したがってバークの説くconstitutionは形而上学的な背景を失い、政治社会についてのあらわなイデオロギーとならざるを得ない(福田 (1985), 450)。
最後に、フランスでは、トゥーレThouret──フランス革命の最初の数ヶ月の鍵となる人物──が、1789年8月初めに権利宣言の草稿を公表した。この草稿には、次の条項が含まれている。「市民はみな、個人的であれ、自分たちの代表を通してであれ、法の形成に同意する権利と、自分たちが自由に同意した者にのみ服従する権利をもつ」。〔原文改行〕同意が正統な権威の唯一の源泉を成し、また政治的義務の基礎を構成するというこの信念は、グロティウスからルソーに至るすべての自然法学者に共有されていたものであり、この中には、ホッブズ、プーフェンドルフ、ロックも含まれる」(Manin (1997), 84)。
ヘイルが法を見る時に重視しているのは、その拘束力と拘束力の源泉であった。この拘束力の源泉は、法の源泉ではない。つまりこの引用で言えば「どこに、何に基づいているか」ということには関わらないのである。重要なのは「何故」拘束されるのかという点に限られる。そして、その源泉は「同意」に求められている。当時のイギリス社会が「承認し受容し」同意したから、その法は拘束力を持つ。「主権者の命令」としての法命令説とは異なり、その法を権威づけるのは主権者でなく、イギリス人民であり、イギリス社会であることになる。「同意」はこれまでの法と矛盾していないことの現われと解釈することができる。こうして拘束力を重視する法の見方が要請されたのである(高橋 (2024), 57)。
アメリカ独立宣言、合衆国憲法やそれをめぐる議論が、国制理解の変化に果たした役割は?(1780年代の言説分析が必要?)
本書で紹介される1790年代の議論は、1780年代のフェデラリスツとアンチ・フェデラリスツの再現・再演のようにもみえる
バークは独立宣言や憲法について沈黙するが、ペイン、プライスは?
連合規約の第9条のような規定は、性急で偏った決定を大いに防ぐだろう。第5条で定められた輪番制は、権力を長期間にわたって握ることによってほぼ不可避的に生じる人格の腐敗を防ぐだろう
I am very sensible that it will be difficult to guard such a power against abuse; and, perhaps, better means of answering this end are discoverable. In human affairs, however, the choice generally offered us is of two evils—to take the least. We choose the restraint of civil government because it is a lesser evil than anarchy; and, in like manner, in the present instance, the danger of the abuse of power, and of its being employed sometimes to enforce wrong decisions, must be submitted to, because it is a lesser evil than the misery of intestine wars. Much, however, may be done to lessen this danger. Such regulations as those in the ninth of the Articles of Confederation will, in a great measure, prevent hasty and partial decisions. The rotation established by the fifth article will prevent that corruption of character which seldom fails to be produced by the long possession of power; and the right reserved to every State of recalling its Delegates when dissatisfied with them will keep them constantly responsible and cautious(Price (1785), 17).
彼〔バーク〕は独立宣言について詳しく論評せず、合衆国憲法の生成過程についてはまったく言及しなかった。彼がアメリカ革命の経験について何を考えたのか、我々はほとんど知らないし、それゆえ、彼がアメリカ革命とフランス革命をどう区別したのかという問題は空想の産物かもしれないのである(Pocock (1987), xv)
バークのcivil societyが文脈によって訳し分けられている(高橋 (2024), 238-249)。
その問い〔現存する協定を何故絶対視するのか〕に強く関係しているのが、文明社会という概念であると思われる。しかしここで一つの混乱が生じるであろう。この概念と市民社会という概念の関係はいかなるものか。まずそれを検討しておこう。〔原文改行〕バークの議論におけるその関係は、結論から言えば明確ではない(高橋 (2024), 242)。
それぞれの定義や要件は何か?
などのテクストも重視してきた。
これらのテクストと『省察』の国制論の関係、あるいは本書の解釈との整合性は?
ペイン、プライス、シィエスとの論戦あるいは比較のなかでは必ずしも優先的な意味をもちにくいテクスト群?
「調査委員会演説」:国制と国民の関係
私たちの国制は長年の慣行によって認められた(prescriptive)国制である。〔略〕国民(nation)〔という概念〕は〔個々の〕選択よりもはるかに優れた国制により作られる。また国民〔という概念〕は、人民(people)の置かれた特定の状況、出来事、気質、性格、そして道徳的、市民的、社会的な習慣によって作られ、長い時間をかけて初めて明らかになるのである。
Our Constitution is a prescriptive constitution…it is a constitution, made by what is ten thousand times better than choice; it is made by the peculiar circumstances, occasions, tempers, dispositions, and moral, civil, and social habitudes of the people, which, disclose themselves only in a long space of time.(Burke (1865-1867), VI, 94-95
『手紙』:国制は次第に発展
私たちの国制の各部門は、長い時間をかけてほとんど気づかれないほどに少しずつお互いに調和し、それぞれの目的だけでなく共通の目的に適応してきた。しかし、競合する部門について私たちがこのように調和できたのは、ただ一つの即時的な取り決めによってではない。
The parts of our Constitution have gradually, and almost insensibly, in a long course of time, accommodated themselves to each other, and to their common as well as to their separate purposes. But this adaptation of contending parts, as it has not been in ours, so it can never be in yours, or in any country, the effect of a single instantaneous regulation, and no sound heads could ever think of doing it in that manner.(Burke (1990), 331)
『訴え』:共通契約によって人民と成す
未開な自然状態においては、人民というものは存在しない。〔略〕人民は全面的に人為的であり、他のすべての法的擬制と同じく、共通の契約によって作られる。この契約の特性はその社会が作られてきた形態から推測される。
『訴え』:国制契約の拘束性
国制は、暗黙であれ明示であれ、いったん何らかの合意によって定められられると、それを変更するための力は存在せず、その変更は契約を破るか、すべての当事者の同意なしには行えない。
未開な自然状態においては、人民というものは存在しない。〔略〕人民は全面的に人為的であり、他のすべての法的擬制と同じく、共通の契約によって作られる。この契約の特性はその社会が作られてきた形態から推測される。
In a state of rude Nature there is no such thing as a people. A number of men in themselves have no collective capacity. The idea of a people is the idea of a corporation. It is wholly artificial, and made, like all other legal fictions, by common agreement. What the particular nature of that agreement was is collected from the form into which the particular society has been cast. Any other is not their covenant. When men, therefore, break up the original compact or agreement which gives its corporate form and capacity to a state, they are no longer a people,―they have no longer a corporate existence,―they have no longer a legal coactive force to bind within, nor a claim to be recognized abroad. They are a number of vague, loose individuals, and nothing more. With them all is to begin again. Alas! they little know how many a weary step is to be taken before they can form themselves into a mass which has a true politic personality.(Burke (2015), 445)
国制は、暗黙であれ明示であれ、いったん何らかの合意によって定められられると、それを変更するための力は存在せず、その変更は契約を破るか、すべての当事者の同意なしには行えない。
Neither the few nor the many have a right to act merely by their will, in any matter connected with duty, trust, engagement, or obligation. The constitution of a country being once settled upon some compact, tacit or expressed, there is no power existing of force to alter it, without the breach of the covenant, or the consent of all the parties. Such is the nature of a contract. And the votes of a majority of the people, whatever their infamous flatterers may teach in order to corrupt their minds, cannot alter the moral any more than they can alter the physical essence of things.(Burke (2015), 440)
歴史的テクストと一般化
『フランス革命の省察』が保守思想の古典とされるのは、社会秩序を解体しようとする思想に対する批判を、バークが用いたウィッグ特有の言語から別の言葉へと置き換えても通じるような形で述べられているからである(Pocock (1987), xiv)。
政治思想史のリヴィジョニズムと政治哲学の模索
政治思想史研究の歴史学的転回の結果として、政治思想史研究がいかなる意味で政治哲学なのかは必ずしも自明ではなくなっている(犬塚 (2014b), xi)。
半澤の「丸山・福田パラダイムへの知的懐疑」と現代的意義
私に彼ら〔ケンブリッジ学派〕の主張への共感を抱かせたバネは、明らかに丸山・福田パラダイムへの知的懐疑の経験であったが、正確には私にとっての問題は、彼らにおけるような「伝統」ではなく、戦後日本社会科学の世界に特有と思われる「近代」信仰であった(半澤 (2017), 228)。
コンテクスト主義への懸念と言語の普遍的意義の問いかけ
まったく時代も背景も異なるテクストが、身につまされるものとして心に迫ってくることがある。それはなぜかが、文脈主義では見えてこない(野原 (2023), 48)。
こうしたリヴィジョニズムは、政治思想史研究の有意性やアイデンティティを揺るがしている。かつて日本での西洋政治思想史研究は、西洋近代の政治思想のなかに目指すべきリベラル・デモクラシーのモデルを見出すかたちで、政治哲学・政治学としての有意性やアイデンティティを示してきた。そうした研究の伝統が、20世紀後半の日本の政治学史のなかで担った歴史的役割は小さくない。しかし近年のリヴィジョニズムによってかつての思想史像はそのままでは維持しがたくなり、つまりは政治思想史研究の歴史学的転回の結果として、政治思想史研究がいかなる意味で政治哲学なのかは必ずしも自明ではなくなっている。〔略〕過去に目指すべきモデルを見失ったなかで、政治思想史研究はどのような意味で政治哲学と言えるのか」〔略〕「政治哲学が、出来合いのイデオロギーに分類することでなく、政治について原理的に検討する営みを意味するならば、後世のイデオロギーには分類しきれない過去の思想を明らかにする作業は、政治哲学とも無関係でないはずである。禁欲的に歴史研究の手続きに従うことは、過去に知的資源を見出しえないこと、見出さないことを意味するわけではない(犬塚 (2014b), x-xii)。
改めて言わなければならないが、ここに述べたことは、「ケンブリッジ学派」問題がすでに歴史的過去に入ったと見てよい現在の私の判断である。だが、7、80年代の私について一歩踏み込んで反省してみれば、彼らの発想の根拠と、私の共感のそれとは必ずしも同じではなかった。私に彼らの主張への共感を抱かせたバネは、明らかに丸山・福田パラダイムへの知的懐疑の経験であったが、正確には私にとっての問題は、彼らにおけるような「伝統」ではなく、戦後日本社会科学の世界に特有と思われる「近代」信仰であった。私は、両者の重ね合わせをほとんど直観的に行ったようである。しかし、その違いのためか、あらぬか、一方スキナーは、批判された伝統的な思想史をすべて「神話」として全否定したが、他方私は、古典の中に「現代的意義」を求める議論を「歴史」と呼ぶことはスキナーと同じく拒否したけれども、同時に、それ自体は歴史研究とは別の、独自の意味を持つ合理的な政治的行為と考えた(半澤 (2017), 228)。
そもそも、言語そのものが、一定の抽象性を持つ。すなわち、まったく時代も背景も異なるテクストが、身につまされるものとして心に迫ってくることがある。それはなぜかが、文脈主義では見えてこない。たとえば、セネカのテクストを読むと、少なからぬ現代人は自らの人生への警句として身につまされるものを感じる。〔略〕言葉は抽象的でありうるのであり、同じ言葉・観念であっても、時代により浮かべる具体的内容は異なりうる。しかし、同じ表現が用いられることを通じて、人は時代を超えて言語・観念表現を現実的なものとして受け取るのである。そして、そうであるからこそ、言語は、時代・社会を超えて、影響しうるのである。コンテクスト主義者はこの言語の可能性を見損なっている(野原 (2023), 48)。
1945年の敗戦後、新たに社会を作っていくとき、社会契約論は戦後日本を導く一つの 道しるべとなった。〔略〕そこで社会契約論は、何よりも「民主主義における国家権力への歯止め」を示す思想として理解された。個人にはいくつかの侵すことのできない権利があり、それは他の個人の権利を侵害しないかぎり制限されたり取り上げられたりしてはならない。したがって、国家は個人に何でもさせられるわけではなく、国家の要求にしたがって命を捨てることは当然ではない。〔略〕ところが遅くとも1980年代には、戦後啓蒙思想は急速にその勢いを失う。ここでは一つひとつ理由を述べる余裕はないが、言ってしまえば時代にそぐわなくなって顧みられなくなったのだ。それと同時に、社会契約論そのものもあまり読まれなくなった。〔略〕いま社会契約論を読むには、新たな読み方、戦後啓蒙思想が時代と格闘する中で発見したのとは別の読み方が必要なのだ。過去の人々が固有の時代背景からこの思想を読み解いたように、いま、この現在の状況から、新たに社会契約論を読み解き、読者にその魅力を示さなければならない(重田 (2013), 13-16)。
国民の同意という国家の権威が成立する余地が、急速に縮小している。もちろん、そのもっとも大きな理由は、現実政治のレベルで、国家が社会問題の解決に職務を果たせなくなってきたということである。国家が国民の同意を拡張させてきた近代史における正当性の正の連鎖とはまったく逆に、国家の正当性の減退が新たな減退を招くような負の連鎖に陥っている。国家が多様化する社会問題に対して無力であるという幻滅感は共通認識となりつつある。反面、国家はより強力で広範囲にわたる国民の同意を獲得するために、生権力のいやおうなき行使に活路を見出すようになってきている(鵜飼 (2013), 41)。