#10 行政と政官関係(1):官僚制
February 4, 2026
国家主権に基づく中央政府と地方政府による統治行為の一部としての官僚制の集団作業(村松 (1994))

私たちは測定された説明責任の時代、測定された実績に対する報酬の時代に生きており、「透明性」を通じてそれらの測定基準を公表するという美徳を信じている。だが、説明責任を測定基準や透明性と同一視するのは間違っている。説明責任は本来、自分の行為に責任を負うという意味のはずだ。だが、一種の言語的トリックによって、説明責任は標準化された測定を通じて成功を見せつけることに変わっていった。まるで、本当に大事なのは測定できるものだけだとでもいうようだ。しばしば当然のことのように受け止められるもう一つの思い込みが、「説明責任」は実績の測定が公にされること、つまり「透明化」を求めるということ(ミュラー,ジェリー・Z and 松本裕(訳) (2019, p. 4))。
定量化とは魅力的なものだ。知識を整理して、単純化してくれるからだ。人や組織間で簡単に比較できる数値情報を提供してくれる。だが、この単純化はゆがみにつながる可能性がある。何かを比較可能にするというのは往々にして本来の概念、歴史、意味をはぎとってしまうことを意味するからだ。その結果、情報は問題の現実よりも確実で権威あるもののように見える。危険信号や曖昧さ、不確定要素ははぎとられる。特定の知識の体裁を整えるには、数値で表現するのが一番だ(ミュラー,ジェリー・Z and 松本裕(訳) (2019, p. 25))。
「学力格差に関して言えば、目に見える結果の進歩がない場合、継続的な測定に費やされるリソースそのものが、道徳的な熱意のあらわれとなるのだ(ミュラー,ジェリー・Z and 松本裕(訳) (2019, p. 100))。
「アマチュアは公表し、官僚は隠匿する」。イアン・ハッキング『偶然を飼いならす』(木鐸社、4860円)のこの言い回しは、王の寵臣(ちょうしん)たちが集まる秘密の場所=官房における国家機密と、データをかき集めて推計するアマチュアの知の双方が、近代統計学の源泉となったことを鮮やかに描いている(重田 (2019))。
なぜ統計はこんなにも普及したのか。背景には、日常生活と「国民国家」規模の状況の乖離(かいり)がある。たとえば、日本の景気が前よりいいのか悪いのか、職を得られない人が増えたのか減ったのか、簡単にはわからない。そこで統計データの出番となる。ポーター『数値と客観性』が指摘するとおり、統計は、体感される現実を数値に置き換え「客観化」していく。人びとは数値が実感に合わないと違和感を抱く一方で、数値という根拠にすがって生きている(重田 (2019))。
ただ、現在よく知られた統計指標の中には、案外新しいものも多い。竹内啓『歴史と統計学』によるなら、経済政策と統計が結びついたのは、「大衆の時代」である20世紀になってからである。とりわけ、大恐慌による大量失業に取り組むため、数値による政策の裏づけが求められた(ただし、アメリカで月ごとの雇用統計が取られようになるのは1940年である)。これ以降、失業率やGDPといった指標が生まれ、政策とその成果をアピールするのに用いられるようになる。他方で、何をGDPに含めるかに定説はなく、統計的指標は社会文化的に移ろいゆくものともいえる(重田 (2019))。
お役所風の形式主義。過度に形式上の手続きを尊重すること。官僚主義。お役所仕事。〔イギリスで赤いテープを使って公文書を縛ったことから〕(『大辞林』)

新自由主義が効率化を掲げながら実際には無駄な仕事が増えた点が重要だと感じた。競争や管理の強化が重視される体制の中では管理や書類の作成などの作業が多くなり、やりがいを感じない人が多く出てくる。効率化を重視した改革が無意味な仕事が多くなった、このことからAIがどれだけ優秀で効率であっても結局最後は人である私たちや制度が変わらなければ何も進歩しないのではないかと感じた(安達さん)。
無駄な仕事が生まれる背景を、個人の能力や努力不足ではなく、社会全体の価値観や制度の問題として捉えている点が重要だと感じた。仕事の中身よりも「働いている状態」や管理を重視する考え方が、意味の薄い業務を増やしているという指摘は、多くの人が抱える働きづらさの原因を明確にしている。また、労働の在り方を見直し、本当に必要な仕事とは何かを考えるきっかけを与えてくれる点でも意義がある(山田さん)。
官僚は政策エリートの一つである。官僚が「頭が良い」と言われる理由はいくつかあるが、その最たるものは一見、もっともらしい理由をたちどころに思いつく能力にある(真渕 (2012, p. 22))
すべて職員は、国民全体の奉仕者として、公共の利益のために勤務し、且つ、職務の遂行に当つては、全力を挙げてこれに専念しなければならない。
前項に規定する根本基準の実施に関し必要な事項は、この法律又は国家公務員倫理法に定めるものを除いては、人事院規則でこれを定める。
子供の学びを支える教師は公教育の要であり、子供たちへのよりよい教育の実現のため、教師を取り巻く環境整備を進めることが喫緊の課題です。昨年8月の中央教育審議会答申を踏まえ、学校における働き方改革の更なる加速化、学校の指導・運営体制の充実、教師の処遇改善の一体的・総合的た推進など、学校や自治体の皆様と連携しながら、先頭に立って取り組んで参ります。
今後は、端末活用頻度の向上と地域間格差の解消、学校の通信ネットワーク改善、校務のDX化、確実な端末更新などに取り組み、GIGAスクール構想第2期を強力に推進して参ります。このほか、学習指導要領の改訂に向けた検討を始めるとともに、幼児教育の質の向上、特別支援教育の推進、教科書の充実、健康教育及び食育の振興、新時代に対応した高等学校改革の推進などに全力で取り組んで参ります。
1998年 一橋大学経済学部卒業。武隈慎一ゼミ出身。同年大蔵省入省。証券局総務課配属
しかし、そこから50年以上がたち、先生の仕事を巡る環境は大きく変化しています。児童・生徒の問題は多様化・複雑化し、親の権利意識も高くなっていますし、夏休みも研修や部活でほとんど休めなくなっています。業務の負担感が大きすぎる状況になっているのです。そうした中で、教員の方々の残業時間も小中の平均で47時間となっていて、過労死寸前の方もいる状況になり、どんどん教員志望者が少なくなっていく、いわゆる「教師不足」が大きな問題となっていました。そこで、教職員の方々の業務の見直しや、それに見合った手当の増額が課題となっていたわけです。
文科省は2019年に「3分類」を設定し、教師がやるべき業務やそうでないものについて方針を出しています。これを見ていただけると、実際の進捗は良くないです。その原因の一つとして自分が考えるのは、「基本的には」や「必ずしも」という留保の言葉が付いているため、日々子供や保護者と向き合う現場ではなかなかその通りの運用ができないという問題があるのではないかという点です。
例えば、英国では、1998年にトニー・ブレア首相の労働党政権が出した教育現場への通知があります。それまでの英国は教師がかなり福祉的な業務をやっていたのですが、教師が「担うべきではない仕事」という留保なしのネガティブリストを出して、事務職員に業務を移し、結果的に英国の教師は事務負担からかなり解放されたという事例があります。このように明確に、国がトップダウンで強制力を持った仕事のより分けをするのも一案であると考えました。