| 類型 | 学歴 | 給与 | 世帯所得 | 居住地 | 政治的発言力 | コミュニティ帰属 | 推定比率 |
|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 大企業型 | 高い | 高い | 高い | 都会 | 中間 | 低い | 26 |
| 地元型 | 低い | 低い | 高い | 地方 | 高い | 高い | 36 |
| 残余型 | 多様 | 低い | 低い | 都会 | 低い | 低い | 38 |
#2 福祉国家と現代日本の課題
December 17, 2025
政治参加や投票率が低いことは悪だという風に社会全体で言われている中、自分もなぜ政治の状況になっているのかは気にしたことがなかった。しかし、集団行為論の「個人が行動しても成果を独占できないため、参加動機が弱くなりやすい」と指摘している点がとても腑に落ち、自分の意思決定が結果に必ずしも反映されないという点は政治参加の動機として大きく作用する重要な点だと思ったから(大石さん)。
政治学はなぜその現象が発生するかなど、社会の構造的なところから問い直していくものであり、教科書の内容をこなすだけでは建前や原則論にとどまってしまい、結局は理想であるのではと錯覚してしまう可能性がある。また現在の政治制度に対する批判的視点や課題の発見も難しくなってしまう。また「恵まれた人もいればそうでない人もいる」で世の中が解決するならば不平等をなくすための制度や法律は不要になり政治そのものはいらなくなるという指摘に納得したから(小野さん)。
これは社会科教育の問題点であり重要な点だと思う。だと思う。つまり、今の社会科は変わりつつはあるけど、目的が教科書の太字の暗記で終わっているのではないかと思う。前任の社会科教育学の先生はそこを変えようとしておられて、探究的な授業、生徒が主体的に考え意見を持てる授業を作るように口酸っぱく言われていた。なので、社会科授業を教える•教えようとしている身として、暗記や指導要領をこなす、入試のための社会科ではなく、生徒が主体的に考え、議論できるような社会科を目指す必要があると考える(片山さん)。
自分が一年前に受けていた特に疑問を抱かずに当たり前だと受けてきた学習内容に関する点での中学・高校教育の責任と、教育学部生として自分が受けている教員を養成する大学の責任の二つが、去年まで高校生だった自分と今の自分とでかなり身近な責任の問題だと感じたから。「推し活」というような形での政治への興味の持ち方や、最近では表現が正しいかはわかりませんが小泉さんを持ち上げるようなSNSの投稿を見ました。自分の政治の見方は適当なのか見直してみようと考えました(河田さん)。
この前、自分の母校の高校に母校体験活動という実習のような形でいって授業を見たが、ただ教科書やノートに書いてある情報を教えるだけで面白くなかった。先生が動画の中でおっしゃられているように、それがなぜ問題とされているのかというように、なぜの部分を全く考えておらず事実だけを学び、自分で調べたりしていないというところが面白くない要因であると感じた(喜多川さん)。
教師は政治についてあまり言及しないということは知っていたが、総務省には政治教育に配慮した記述があるということは初めて知った。政治的中立性と政治的意見を持たないことと同義である傾向について、実際私の高校では各政党の政策はおろか選挙や政治の動向でさえも学ぶ機会はほとんどなかったように思う。しかし、政治が私たちの生活と密接に結びついていることを考えるとある程度教師の考えを表明することは重要で、子どもたちも政治について考えるきっかけになる(前田さん)。
こたつ記事とはテレビ番組での芸能人やコメンテーターなどの発言をそのまま引用して伝える記事だ。中には著名人のSNSやブログからコピペしただけのように見えるものもある。取材をせず、こたつの中に入ったままで書けるから、そう呼ばれている(プチ鹿島)1。
自分の置かれた立場から述べられた話は、バイアスがかかっていることが前提として考えなければ、その話の対象とはならない存在からすればおかしいなと感じる部分になるのだと考えなければならないのだということを特に感じさせられたから。また、バイアスがかかっていることを自身がレポートを書くときにいつでも意識することができる人はどれほどいるのか疑問に思ったことも理由としてある(河田さん)。
正社員になって定年まで勤めあげる生き方をしているのが1950年代生まれで34%しかいないというのが面白いと感じた。当時は一つの道を究めることが至上という風潮だったのではないかと考えていて、本文にも「正社員のお父さんは、終身雇用で一生クビにならない」とあるにもかかわらず、実際に勤めあげる人が少ないというのが意外だった(小松原さん)。
自分自身がバイアスを持っているという自覚をしっかり持つことは、政治を考える上でも、教員という職業においても重要だと感じたから。この記事を読みながら、私は大学進学が可能であることを当然とする家庭環境を持つ友人に囲まれて学生生活を送ってきたという事実を強く実感した。政策がどのような生活環境を想定してつくられているのかを考えることは、教員が生徒一人ひとりの家庭環境に寄り添った指導を行うことにもつながると考える(角田(すみた)さん)
世代によって貧困に対する問題意識に違いがあり、世代によって貧困とは無意識のうちに、努力して働いたら貧困からは脱出できるという考えがあるということに驚いた。現在の社会での貧困問題は社会構造がきっかけである可能性もあり、誰が貧困になってもおかしくない時代に私たちは直面しているが、少し前の時代は、努力をすれば貧困からは脱出できるという考えを持つような時代であったため、同じ政治課題を共に解決するためにも互いの時代背景を理解していく必要があると感じた(髙尾さん)。
須賀さんの発言において、「典型的な人生だと思っていた数字がどう計算してもそれ以上にならず、自分たちはわかっていなかったのだ」と痛感したという部分が重要な視点だと感じたため。また、この場面において、自分たちが勉強不足であったことに気づいたこと、この気づきによって、たくさんの分野の本を読むようになったという発言が特に印象的だったため。ここでの事例のように、私たちは自分が過ごしてきた環境が「普通」であると思い込んでしまう節があることを再確認した。こうしたバイアスに対応していくために、様々な問題に対処する際には、より意識的に物事を多角的かつ多面的にみていく必要があるなと感じた(西田さん)。
「自分が一番の被害者なんだ」と考えてしまうあまり現状を狭い視野でしか捉えられなくなり、その視野の外を無視するような状況に陥ってしまうのは、社会を分析する上で危険な状態だと考えた。特に、様々な背景や価値観を持つ子どもたちを導く教員を目指す自分には致命的で、今一度視点というものを考え直す必要があると感じた(福田さん)。

〔雨宮〕ただ、バブル世代以上の人って、「日本は努力したら報われる社会なんだ」という意識がすごく強いですよね。実体験からくるんでしょうけど、貧困=自己背任という考えで凝り固まっていて、それが自分のアイデンティティとつながってしまっている感じです。だから、貧困の問題を指摘すると、まるで自分の土台が崩れるみたいな反応をすると、まるで自分の土台が崩れるみたいな反応をする人が多い。「日本には貧困なんかないんだ!貧しいのは努力が足りないんだ」と言い切っちゃう人が、特に50代から上には多いです(上野 et al. (2017, pp. 16–17))。
〔小熊〕多くの人が、現在の社会に不満を持っている。しかしこのレポートの背景になっているのは、「労働時間が長い」「自己決定権がない」「人事異動で勝手に動かされる」「自分の思った仕事ができない」「年長者支配がひどい」「転職しにくい」「定年まで勤めても、地域に足場がなくなっている」といったものです。これは大卒で大企業、官庁に勤めている人たちの不満ですよね。母子家庭や非正規雇用の不満とは違うでしょう。 とはいえ、種類は違っても不満は不満です。どっちの不満が大きいかという話をしてもしょうがない。現代の特徴は、みんなが被害者意識を持っていて、自分たちが不幸だと感じていることだと思います(上野 et al. (2017, p. 17))。
〔上野〕経済政策だったら、神野直彦さんとか、金子勝さん、大沢真理さん、井出英策さん。だから、先行研究を勉強して欲しいといったんですが(上野 et al. (2017, p. 23))。
| 類型 | 学歴 | 給与 | 世帯所得 | 居住地 | 政治的発言力 | コミュニティ帰属 | 推定比率 |
|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 大企業型 | 高い | 高い | 高い | 都会 | 中間 | 低い | 26 |
| 地元型 | 低い | 低い | 高い | 地方 | 高い | 高い | 36 |
| 残余型 | 多様 | 低い | 低い | 都会 | 低い | 低い | 38 |
自営業者、農家ら
地元から離れない=自治体や町内会、政治家の後援会の担い手
Cf. マイルドヤンキー論
地元に根ざし、同年代の友人や家族との仲間意識を基盤とした生活をベースとする若者。博報堂ブランドデザイン若者研究所リーダーでマーケティングアナリストの原田曜平が提唱している。現代の一般的な若者の志向とされる都市部集中、車離れ、晩婚化、少子化とは異なる経済活動や行動様式を持つと定義され、仲間と同乗して車を使い、地元企業に勤めて週末は幼なじみとショッピングモールに出かけるなど、行動エリアが半径5キロメートル以内で完結するという(『知恵蔵』)。
〔小熊〕ただ問題だと思うのは、3つのセクターから成る構造と格差があるのだけれども、それが可視化されていない。可視化されるときは、たいてい世代間対立という形か、東京都地方の格差という形にされてしまっています。〔原文改行・略〕日本の場合は、何でも世代で可視化されてしまう。それは結局、本質的な問題から目をそらす疑似対立にしかならない(上野 et al. (2017, p. 30))。
しかし、この図のような分断社会日本の実像は、多くの人にはみえていません。それは、現代日本社会が、大学に行かずに20歳前後で社会に出た若い男性労働者たちを、直視していないからです。そもそも、わたしたちは彼らを呼ぶ名前をもっていません。名前のないもの ごとは、可視化することも、問題性を論じることもできません。〔原文改行〕現代日本は、学歴分断を言葉にすることをタブーとみなしている社会なのですから、社会集団としての彼らに、固有の呼び名がないのは当然といえば当然かもしれません。考えてみると、「非大卒」というのは、本来望まれる大学進学をしなかった人たち……という消極的な意味しかもたない言葉です。まさに、極めつきの「○○じゃないやつ」なのです(吉川 (2018), [221])。
現代日本社会の現役世代の夫婦の内訳は、大卒同類婚が約35%、非大卒同類婚が約35%で、合わせてほぼ7割、夫と妻の学歴が異なる夫婦は全体の約3割にとどまります。学歴の世代間関係をみると、レッグスたちの両親は、8割以上が同じ非大卒、しかもほとんどが非大卒同類婚であり、ここには強い学歴再生産傾向をみることができます。〔原文改行〕つまり、レッグスたちは、非大卒同類婚の両親を出自とし、非大卒学歴の世代間継承を経て、〔226〕自らも非大卒同類婚をして、その子どもたちも再び非大卒層となる……という家族形成の流れのなかにあるのです。こうした学歴再生産の流れは、大卒層のほうでも同様にみられます(吉川 (2018), [225-226])。
一億総活躍社会じゃねーのかよ。昨日見事に保育園落ちたわ。一億総活躍社会じゃねーのかよ(匿名投稿)
こんな汚い言葉に国会議員〔山尾志桜里(民進党)〕が満面の笑みで登壇、授与って。なんだか日本人としても親としても僕はとても悲しい気持ちになりました。きっともっと選ばれるべき言葉や、神ってる流行あったよね(つるの剛士)
10月、自民党と日本維新の会の連立合意の内容を見た保育関係者の間では落胆の声が漏れた。子育て支援策が「人口政策および外国人政策」と、外国人への罰則強化策などとひとくくりにされたためだ。
2月の自公維の3党合意で「2026年度から実施する」と明記されていた0〜2歳児を含む幼児教育・保育の支援拡充は、具体的な実現時期の記載が消えた。連立合意では「大幅な拡充を実現する」との表記にとどまった。
高市政権では子育て関連の政策が「事実上トーンダウンした」(内閣府幹部)とみる向きが広がっている。岸田文雄政権は「異次元の少子化対策」を打ち出し、石破茂政権がこども未来戦略の着実な実施に所信表明演説で言及したのとは異なる。
〔小熊〕政府は人々がやりたがっていることについては、背中を押して促進させることができるけど、やりたがっていないことをやらせることはできないということです(上野 et al. (2017, p. 45))。
〔上野〕あの世にお見送りするまでは幸せに生きてもらわなきゃいけないじゃないですか(上野 et al. (2017, p. 43))。
島根大の作野広和教授(56)が、過疎化でいずれ人が住まなくなる集落の「むらおさめ」を提唱したのは、2006年の経済地理学会だった。
当時は「聖域なき構造改革」を掲げる小泉政権のただ中。国は過疎地域に自立を促し、特産品開発や都市部との交流で地域活性化に成功した事例をモデル地区とたたえた。
組織としてプロジェクトからの学びはなかったのか。当時「働き方改革」の牽引役で、プロジェクトを陰で支えた伊藤禎則さん(現・秘書課長)は、あのペーパーを機に若手が省内で「旗を掲げる」活動が増えたという。大阪万博や福島の復興を考える数々のプロジェクトには地方組織も含めて誰でも参加できる。業務時間内の活動も認められ、1人が複数の名刺を持つ「省内副業・兼業」が浸透しつつある(浜田 (2022))。
このプロジェクトの中核メンバーでもある海老原史明さん(中小企業庁事業環境部金融課総括補佐、2007年入省)は、これまで「空飛ぶクルマ」プロジェクトのために週1だけ霞が関で働く「週1官僚」を民間から募るなど、柔軟な発想でいくつもの提案をしてきたる(浜田 (2022))。

福祉国家とその要因に関して、その分析の上で単線的なアプローチから相互作用論的なアプローチへ移行する必要があり、ここでの議論もそのような問題意識に基づいていた。もし我々が福祉国家を分析しようと望むならば、我々は福祉国家の社会における役割を規定している一連の基準から始めなければならない。福祉国家の役割とは、税金を使うことではないし課税をすることでもない。また、平等をすすめることでも必ずしもない。我々は歴史的に福祉国家を形成してきたアクターがいかなる原理に基づいて団結し闘争してきたのかという点を念頭においた福祉国家比較の枠組みを提示した。福祉国家にどのような原理が埋め込まれているのかという点に焦点をあてると、我々は多様な福祉国家レジームのクラスターを発見することができる。そこでの相違は、何らかの共通の基準に照らしてより進んでいるか遅れているかというバリエーションではないのである。 個々のレジームの相違をつくりだしてきた歴史的諸要因は相互に連関している(イエスタ (2001, p. 35))
| 国家レジーム | 脱商品化 | 階層化 | 脱家族化 | 福祉の主な供給者 | 福祉制度・福祉政策 |
|---|---|---|---|---|---|
| 自由主義型 | 低い | 高い | 中間 | 市場 | 政府による資力調査に基づく社会扶助;企業内福祉サービス |
| 保守主義型 | 中間 | 中間 | 低い | 家族 | ビスマルクの社会保険制度;NGOベースの福祉サービス |
| 社会民主主義型 | 高い | 低い | 高い | 国家 | 普遍的な社会保障と福祉プログラム |
| 国家レジーム | 代表的な国家 |
|---|---|
| 自由主義型 | アメリカ合衆国;イギリス;カナダ;オーストラリア |
| 保守主義型 | ドイツ;フランス;イタリア;オーストリア |
| 社会民主主義型 | スウェーデン;デンマーク;ノルウェー;フィンランド |
イギリスの福祉制度は単身者への現金給付が薄く、家族給付・住宅給付に制度の重心がある。サッチャー政権期(1979–1990)以前は他のヨーロッパ諸国と同水準だったが、サッチャー政権において給付の位置付けが所得代替から最低限保障へと転換し、今日に至る


第二に、福祉国家の本質を「脱商品化」ととらえる見方には一定の留保が必要である。近年では、福祉政策の役割を労働者の技能形成、あるいは「人的資本」への「投資」ととらえる見方が有力となっている。ただしこれらの議論は、福祉国家を導いたアクターの多くが、資本主義市場のもたらす権力関係からの「自律」「解放」を求めていた、という歴史的事実を過小評価している。〔原文改行〕むしろ本書が注目するのは、エスピン=アンデルセンの「脱商品化」という指標が、失業や病気などによって一時的に働けなくなった人への基礎的な生活保障という意味に限定されている、という点である(Room 2000. 333)。実際、福祉国家の形成に影響を与えたアクター──労使階級のみならず、農民、保守主義者(旧地主階級、自営業者、宗教勢力)、労働者、中産階級など──は、それぞれ資本主義と結びついた社会的権力関係(階級、さまざまな形の従属、格差)からの「解放」や「自律」を求めて運動した(田中 (2017), 16)。
他国に比べて水準の低い公的福祉が維持されたまま、「インサイダー/アウトサイダーの分断」が顕在化し、それへの実質的な対応が進んでこなかった、という点にある(田中 (2017, p. 272))