#6 民主主義と全体主義(2)
February 2, 2026
グレイザー わたしが考えたのは、人間の原始的な性質である暴力性や、加害者のなかにある我々との共通性について語ることでした。彼らは異常者ではなく、段階的に大量殺人者となった普通の人々であり、自分たちが直接手を下すのではなくその犯罪行為からは大きく隔たっていたために、自身を犯罪者とは思っていなかった。壁の向こうで起こっていることに対する彼らの無関心、世界の恐怖を切り離して無視することは、自身の贅沢と安定を保つためであり、そういった傾向は、わたしたち自身に共通するものでもあるわけです。それこそが本作を今日の観客に関連づける鍵でした。
何かが起きる、何かが起きるのを待つ映画ではありません
何も起きていないように見える時間そのものが、問いであり、視聴者に考えることを促す仕掛けになっています
映画のレビューを見ていると、ヘス夫妻は家のすぐ隣で起きている虐殺に「無関心」だった、とする指摘も散見されますが、それは違うと思います。彼らは単に「無関心」だったわけではない。むしろ確信的に虐殺や搾取に加担して、利益を得ている。その上で、そうした犯罪から積極的に目を背け、遮断しているんです。
日本から来た学生たちは、きっと技能実習制度や育成就労制度について「そのように設計されているなら、従わなければならない」と自然に思っているだろう。何かにつけて詳細な規則やルールを設け、若い人々に自己決定や異議申し立ての方法も教えることなく「決まったことなら何であっても従え」と教えてきたのは、私を含む大人世代だ。私や、私の親しい人たちもまた、自分たちの権利が侵害されても「従え」と言われれば従うのが当然だと思っているだろう。外国人の権利を保障しない労働環境が当たり前のものとして容認されてきた背景には、「国民」の権利を保障しないことを当たり前と見なす社会があるのかも知れない。