#3 国民主権と天皇制
January 7, 2026
「社会的弱者は誰なのか、なぜそうなるのか」という問いが生まれない社会では、不平等であるということに気づきにくくなり、自己責任であるという考え方になってしまう。本来、制度や環境によって生じている不平等が問題として認識されず放置されるため、適切な支援や改善が行われない。この問いが生まれること自体が社会をよくするために必要なものであり、重要な基盤となると考える(市場さん)。
個人的に新自由主義はかなり批判的に見ている。これにより、格差がひらき、希望が持てない社会になっていったと思う。特に日本では、自民党の自由主義的傾向が強く、自己責任論が蔓延し、希望が持てなくなったと考えている。去年の政治学概論の最終課題でも同じようなことを書いたし個人の解釈、見方•考え方によるのかもしれないけど、自分は、この世界的な転換が格差の助長、希望を持てない社会にしたと考えてるので、非常に重要な問題だと考えている(片山さん)。
選挙に行く際は公約を見るのではなく、過去の実績に着目して投票するように心掛けようと考えた。また、中高の生徒会長を決める時、公約を聞いたうえで投票していたけれど、ほとんど実施されることなく、何のための公約なのかと疑問に感じていたため、納得がいくとともに、政治の世界でも同様であることが印象に残った。さらにこのような学生時代の経験から、人々が選挙の際も公約に目を向けてしまうということもあると思ったので、教育の場から変えていくことが求められるのかなと感じた(兼清さん)。
中学の社会科の授業で南北問題や南南問題が取り上げられたときに、先進国と後進国を比較して、後進国が先進国のように発展することが重要だと学んだ記憶がある。先進国が発展途上国を援助して産業や経済発展を促すことは必要だが、真似をするのではなく、その国の実態に合った支援が必要だと気づかされた。また、日本が外国で成功した方法をそのまま輸入すると日本では合わない可能性があるという危険性があると感じた(橋本さん)。
グラフの見せ方や同じ国の経済を表す指標であったとしても、データの算出のしかたや、切り取り方、比較する国によってグラフ化したときに読み手に与える印象が全く異なっていたのが印象的だった。特に、貧富の差が大きいイメージの強いアメリカでは、短期的な失業に関しては保障が行き届いていたり、長期的なものには日本などと比べると保障が足りていないという点に、データの扱い方次第では読み手の印象操作を行うことも容易であると感じ、前回の授業や冒頭でもあった出版社による記事の考え方の傾向があるという平等な視点ではないことがさらに印象づいた(髙坂さん)。
特定のモデルに基づいて発展の優劣を評価するのは誤りであるという点は、これまでの教育を通して自然と理解できることであると思う。しかし、私の感覚では、インターネット上には今もなお、特定の国を基準にして優劣を論じる言説が一定数存在する。このような発想が一般的な議論の中で用いられ続けている現状を、改めて問い直す必要があると感じた(角田さん)。
過去の自分を振り返って、政治や福祉について考えるときに、どの程度の不平等は許容されるのかという視点が抜け落ちていたと思う。福祉国家という言葉に対して、その国のあらゆる不平等を是正するためという先入観があったので、前提を見直す機会になったと感じた。また、アメリカモデルの近代化の幻想のように、どのような国家の形であれ、何かしらの基準と照らし合わせて分析することが重要だと感じた(福田さん)。
【視点】次年度予算案への国民民主の支持をすでに取り付けてあるわけだから、高市政権にとって、通常国会前半はすでに乗り切ったも同然である。 他方、埋没を恐れる立憲としては、スパイ防止法や国旗損壊罪新設といった、イデオロギー的対立争点で「見せ場」を作ろうとするだろう。しかしこれこそが罠で、結局、立憲の右派政権への対決姿勢が強調されればされるほど、国民民主は立憲から距離を取るようになる、というところまで展開が読める。「戦後日本政治あるある」である。
明治憲法と現行憲法の相違点
憲法前文は主権が国民にあることを明記しており、大日本憲法で規定されていた天皇主権は否定された。天皇の地位は「主権の存する日本国民の総意に基く」とされ、国政に関する権能を持たず、国事行為のみを行うとされた
ジェイムズは、王権の神授的起源を擁護しても、国王が神と同様な神秘的な力を有すると主張することに躊躇していた(小林 (2014, p. 159))
本文にも記載されていたように、天皇の象徴性、政治的な利用を避けるといった観点から、政府と天皇の中間に位置しているという事ができる宮内庁はとても重要な存在だと思ったから。宮内庁の人事の入れ替わりが激しく、人材の育成が必要であるという事は初耳で、難しい立ち位置にいるからこそ、宮内庁に関する仕組みを見直すことが必要だと思った(今井さん)。
平成の歩みが、制度ではなく天皇個人の資質や努力によって支えられてきた危うさが浮き彫りになっているからです。国民に寄り添う「平成流」が象徴の理想像として定着した一方で、それが次代には到底不可能な「個人的な公務量」となり、皇位継承問題も含め制度疲労を起こしている点が非常に興味深いと感じました。個人の献身に依存しすぎる現在の象徴天皇制の限界を鋭く突いています(尾﨑さん)。
皇室が支持される理由に安心感があるというのが記述されていた。現在の皇室では男系が減っており、女系天皇や女性天皇の議論が行われている。そこで女系天皇などの天皇制の問題は、将来的な皇室の正統性からくる安心感に関わる問題であると思うので、外国語が話せるなど時代に合った能力的な点も必要ではあると思うが、旧宮家を含めて皇族の数を増やすことが正統性を維持するという点で必要な議論にもなるのかなと感じた(小松原さん)。
小・中・高の教育を通して、天皇については「日本国民の象徴」という言葉以上の説明をほとんど受けてこなかった。そのため、私の中の天皇像は、平成天皇が国民と交流する姿から自然と形づくられ、それが妥当かどうかを考えることもなかった。しかし、この文章を読んで、「象徴」とは何かを日本国憲法の解釈として主体的に考え、自分なりの価値観をもつ必要があると感じるようになった(角田さん)。
平成天皇が被災地や過疎地など問題や不安を抱えている国民たちのもとへ訪問なさっている場面をよくテレビで見ていたが、今までの天皇ではあまりなかったことなのだと初めて知った。国民の象徴として天皇が存在する中で、国家から距離を置かれてしまっている人々に直接寄り添う行為は象徴を可視化した行為であり、「零れ落ちそうな場所を緩やかに統合する」という言葉はとても興味深いと感じた。同時に、天皇が象徴して統合の手を差し伸べなければならなくなる目に、政治で十分に対応するべきなのではないか、従来の対応では不十分なのではと感じた(長谷川さん)。
私は、天皇が「国民統合の象徴」として分断された社会の修復に寄与するのは、日本国の象徴の立場として素晴らしい取り組みなのではないかと思っていた。しかしその反面、政治の不作為を覆い隠してしまう可能性であったり、政治本来の役割を奪い取ってしまったりといった可能性があることを知り、これまでそのようなことは考えもしなかったので、面白いと思ったから(引地さん)。
〔河西〕でもご本人は、「象徴天皇」である自分が、意思を発するのは当然だ」と考え、あのような表明になったのだと思います。この「おことば」には、自分がやってきた仕事に対する自負心を強く感じました。そうした「おことば」の意図がどこまで国民に理解されているかは分かりませんけれど。
〔原〕国民がこれだけ圧倒的に支持をしているのは、万世一系イデオロギーを奉しているからではなく、とりわけ3.11以降、被災地を訪れる天皇と皇后の姿がしばしば報道されるなど、露出度が上がったからです。
〔河西〕 今の平成の皇室のあり方は、分断された社会の中で、相対的に下のほうの層に、積極的に触れてきました。被災地や過疎化した島々、沖縄を訪問することもある意味では、そうだと思います。分断した社会だからこそ、天皇は能動的に動かざるを得なかったのです。そうしないと、共同体としての日本は崩壊する可能性すらあると天皇は考えたのかもしれません。そして、日本という共同体からこぼれ落ちそうな場所に足を運び、「国民統合の象徴」として緩やかな統合を図ろうとしてきた。しかしこれは、政治の不作為を覆い隠してしまう可能性もあります。天皇が行くことでなんとなく不満が解消されてしまう。政治への不満を表出するエネルギーが減退してしまういい意味と悪い意味があり、私たち自身がその両面があることを認識しなければなりません。
〔原〕「陛下も80歳を過ぎてお年だから、そろそろやめてもいいのでは」とか、「天皇の終身在位は非人間的な制度であるから退位する自由を認めなければ」などの声が国民から上がっていたかというと、ほとんどなかったと思います。〔略〕ところが、「おことば」の後、あっという間に風向きが変わり、9割が支持するという流れになった。
〔河西〕今回の退位は、「疲れたからやめたい」ではなくて、むしろ「自分の仕事を全て引き継がせたい」という思いが強くあると思うんですよね。
〔佐藤〕河西先生がおっしゃるように、「象徴のあり方の模索を、これからも続けてほしい」というメッセージを感じました。そのことはしかし、国民も政府も「『象徴』という機能は何なのか?」という問い天皇に丸投げして、「天皇がやっていることが『象徴』だようね」としてきたことの反映でもあると思います。
〔河西〕昭和は「いればいい」、威厳があって、そこにいてくださって──というのでよかった。だけど平成の場合は、それだと国民から無関心のまま終わってしまうため、積極的に能動的に動いていった。〔略〕次の代は無理だなと感じます。
ある人は「天皇の第二の人間宣言だ」と言い、ある人は「現政権への不満を明らかにするものだ」と言い、著名な憲法学者ですら、天皇の「やむにやまれぬ希望の表明」であると評価した。また一般の国民は概して、高齢の天皇への労りや敬意、感謝の気持ちを抱くにとどまった印象があります。
はっきり言って、こうした反応に私は失望しました。「おことば」が発せられた背景にある権力構造も、読み解くべき内容についても、まったく深い洞察が行われず、「天皇とは何か」「象徴とは何か」という議論も起こらなかった。
なぜ、大きな権力の発露であった「おことば」が、平成の日本で無抵抗に受け入れられたのか。なぜ私たちは、天皇から「ボールが投げられた」にもかかわらず、その中身を主権者として吟味することもなかったのか。
そのような「象徴」の定義が望ましいものか否か、また、現代日本において憲法で禁じられているはずの天皇の権力性をどう評価すべきかについては、主権者である我々国民がもっと広く深く、少なくとも明仁上皇と同じくらいしっかりと考えぬくべきでしょう。
おそらく令和の時代に、明仁上皇と美智子上皇后は、この「象徴としての務め」を徳仁天皇と雅子皇后に引き継いでほしいと考えているはずです。しかし徳仁天皇と雅子皇后が、その意思や適性を持っているかどうかは未知数です。新しい時代には、また新しい「象徴」のあり方が模索されることになると思います。
そもそも私は、幼少の頃から交通の媒介となる「道」についてたいへん興味があった。ことに、外に出たくともままならない私の立場では、たとえ赤坂御用地の中を歩くにしても、道を通ることにより、今までまったく知らない世界に旅立つことができたわけである。私にとって、道はいわば未知の世界と自分とを結びつける貴重な役割を担っていたといえよう(徳仁親王 (2023, pp. 149–150))
戦後の長きにわたる平和な歳月に思いを致しつつ,ここに過去を顧み,深い反省の上に立って,再び戦争の惨禍が繰り返されぬことを切に願い,戦陣に散り戦禍に倒れた人々に対し,全国民と共に,心から追悼の意を表し,世界の平和と我が国の一層の発展を祈ります。
Looking back on the long period of post-war peace, reflecting on our past and bearing in mind the feelings of deep remorse, I earnestly hope that the ravages of war will never again be repeated. Together with all of our people, I now pay my heartfelt tribute to all those who lost their lives in the war, both on the battlefields and elsewhere, and pray for world peace and for the continuing development of our country.
JNN(via Youtube)
2013年4月28日にやはり政府主催で開かれた「主権回復・国際社会復帰を記念する式典」においても、今上天皇と皇后が退出するさい、参列者の一部が「天皇陛下万歳」と叫び、安倍晋三首相をはじめとするほかの参列者がつられて万歳した
御指摘の唱和は、本式典の次第にはなく、本式典の終了後に行われたものであり、政府としてお尋ねの心境に関するお答えは差し控えたい。また、本式典には内閣総理大臣を始め十八名の閣僚が参列したが、そのうち本式典終了後に行われた御指摘の唱和をした人数については、政府として把握していない(4.28「主権回復の日」政府式典の挙行結果と今後の開催に関する質問に対し、別紙答弁書)
第1条 天皇は、日本国の象徴であり日本国民統合の象徴であつて、この地位は、主権の存する日本国民の総意に基く
The Emperor shall be the symbol of the State and of the unity of the people, deriving his position from the will of the people with whom resides sovereign power.
第4条 天皇は、この憲法の定める国事に関する行為のみを行ひ、国政に関する権能を有しない
The Emperor shall perform only such acts in matters of state as are provided for in this Constitution and he shall not have powers related to government.
第3条 天皇の国事に関するすべての行為には、内閣の助言と承認を必要とし、内閣が、その責任を負ふ
The advice and approval of the Cabinet shall be required for all acts of the Emperor in matters of state, and the Cabinet shall be responsible therefor.
- 出典:朝日新聞「 天皇訪中は「戦後のけじめ」 日中の極秘交渉、外交記録が明かす曲折」(2023年12月21日)。
国内、海外を問わず、天皇の旅は受け身が原則だが、慰霊の旅は明仁天皇の強い思いによる能動的なものだった。「戦災地は全国各地にあるのに不公平にならないか」「訪問が政治的意味合いがあると受けとられないか」という声もあったが、藤森長官は「陛下のお気持ちを実現したい」として、調整に乗り出した(井上 (2025, p. 52))。
80年前、大阪や神戸への空襲が激化した背景には、「サイパン島の陥落」が関係していることを知っていますか?日本本土へ飛行機でおよそ3時間と近く、アメリカ軍にとっては攻撃の拠点にしたい島で、日本にとっては「国防の要」とされました。そのため激しい爆撃などで多くの民間人も犠牲になりました。両親と多くのきょうだいを失った沖縄出身の87歳の女性は「戦争したらみんな木っ端みじん。戦争だけはやってくれるな」と呼びかけます。女性の姉の孫である、関西テレビのディレクターが取材しました。
陛下は図書館から資料を借りてきたり、関係者に話を聞いたりして事前に勉強された。そして直接関係者に話を聞くことを重視されていた。陛下がまず考えるのは、戦争で苦しんだ人々の気持ちだった。そこで人々がどのように苦しんだか。兵士や一般市民の手記、日記などもよく読んでおられた。昭和天皇の内大臣だった木戸幸一の日記を読んでおられ、『あの部分をどう思う?』と聞かれて、あたふたしたこともある」サイパンで明化天皇と美智子皇后は多くの日本人市民が身を投げたスーサイドクリフ、〔54〕バンザイクリフで黙礼した。このときの映像は国民の脳裏に深く焼きつき、戦争の歴史に向き合う平成の天皇、皇后の象徴的姿として記憶された(井上 (2025, pp. 53–54))。
平成の宮内庁長官は天皇の戦争への思いについての発信をコントロールするのではなく、導かれる立場になっていた(井上 (2025, p. 55))
本来は政治がおこなうべきことだったが、天皇が先頭に立って和解に努めた感があった(井上 (2025, p. 58))
天皇の務めには日本国憲法によって定められた国事行為のほかに、天皇の象徴という立場から見て、公的に関わることがふさわしいと考えられる象徴的な行為という務めがあると考えられます(宮内庁「天皇陛下お誕生日に際し(平成24年))

私が天皇の位についてから,ほぼ28年,この間私は,我が国における多くの喜びの時,また悲しみの時を,人々と共に過ごして来ました。私はこれまで天皇の務めとして,何よりもまず国民の安寧と幸せを祈ることを大切に考えて来ましたが,同時に事にあたっては,時として人々の傍らに立ち,その声に耳を傾け,思いに寄り添うことも大切なことと考えて来ました。
天皇が象徴であると共に,国民統合の象徴としての役割を果たすためには,天皇が国民に,天皇という象徴の立場への理解を求めると共に,天皇もまた,自らのありように深く心し,国民に対する理解を深め,常に国民と共にある自覚を自らの内に育てる必要を感じて来ました。こうした意味において,日本の各地,とりわけ遠隔の地や島々への旅も,私は天皇の象徴的行為として,大切なものと感じて来ました。
皇太子の時代も含め,これまで私が皇后と共に行おこなって来たほぼ全国に及ぶ旅は,国内のどこにおいても,その地域を愛し,その共同体を地道に支える市井しせいの人々のあることを私に認識させ,私がこの認識をもって,天皇として大切な,国民を思い,国民のために祈るという務めを,人々への深い信頼と敬愛をもってなし得たことは,幸せなことでした。(「象徴としてのお務めについての天皇陛下のおことば)
こんにちをもち,天皇としての務めを終えることになりました。ただ今,国民を代表して,安倍内閣総理大臣の述べられた言葉に,深く謝意を表します。即位から30年,これまでの天皇としての務めを,国民への深い信頼と敬愛をもって行い得たことは,幸せなことでした。象徴としての私を受け入れ,支えてくれた国民に,心から感謝します。明日あすから始まる新しい令和の時代が,平和で実り多くあることを,皇后と共に心から願い,ここに我が国と世界の人々の安寧と幸せを祈ります(宮内庁「退位礼正殿の儀の天皇陛下のおことば」
美智子皇后は当初「摂政を置いて、象徴性を増大させていくのがいいのではないか」という考えで、参与らと同じく退位に反対だった。しかし、「摂政はダメだ」という天皇の強い思いを聞くにしたがって、その考えを支持するようになった。参与らは「地位におられることでも象徴としての役割を果たしている。このままでも象徴天皇として傷がつくことはない」という趣旨の話をした。天皇は「わかってくれていない」と落胆し、「飾りでいいというのか」と怒りの感情も見せたという。「存在するだけでいい」という天皇像は、活動して国民に尽くす平成の象徴天皇像に反するものだった。羽毛田は「よかれと思って申し上げたことだった。『陛下のなさってきたことを否定するものではございません』とも申し上げたが、かなりお怒りの様子だった。みずからの生き方、人生を否定されたように思われたのだろう」と回顧する(井上 (2025, p. 197))。
天皇家は続くことと祈るという聖なる役割に意味があるので、それ以上のいろいろな世俗のことを天皇の義務としての役割とお考えになられるのはいかがなものか」。
「今回の「おことば」が一種の先例のようになってしまうと、そこには能力主義の要素が入ってきてしまって血筋ということと少し違う要素が入ってくると思います。
本当は、そうなさる〔〔慰霊の旅を指す〕必要はなかったのだということを脇にいる方が申し上げてしかるべきだったと思います。それは、天皇のお仕事というのは、昔から第一のお仕事は国のため、国民のためにお祈りされることであります。……国民のため、国家のため、お祈りさえしてくださればそれは天皇の一番の中心のお仕事であると私は考えていますし、日本の歴史はそれ以外ありません
国事行為に加えて、多くの機会に地方への行幸啓をお願いし、過重な御公務となっています。この御負担を軽減するために、祭祀、次に国事行為、そのほかの御公務にそれぞれ優先順位を付けて、天皇様でなければ果たせないお役割を明確にし、そのほかのことは皇太子様や秋篠宮様に分担していただくような仕組みの構築が大事だと考えます。……天皇様は何をなさらずともいてくださるだけで有り難い存在であるということを強調したいと思います。
天皇の御存在そのものが尊いのであるから、たとえ公務ができなくなっても、皇位にとどまられるべきである」という見解には、率直なところ、果たして、そう言い切れるのだろうかという思いが湧きます。
天皇は、その存在自体が象徴であって、特段御活動なさらなくても象徴であるという意見がございますが、そのような考え方があることは承知しておりますけれども、さまざまな象徴論があってしかるべきであると思います。私としては、さまざまな象徴像や象徴観に対応できるような仕組みがあることが望ましいと考えており、そうした仕組みの一つとして譲位の導入も望ましいと考えているところであります。
法的、政治的に決まっている国事行為の確認と、さらに天皇独自に行う公的な行為の中のその行為については、私たち自身がある意味の、本当はそういうのは天皇自身の主体的な主観的な意見を発言する場と、客観的に歴史的に照らし合わせをする客観化した組織、今もそれに似たような組織はあるのでしょうけれども、もっと力を持った、そういった組織をつくることによって、国民と天皇との間の回路や了解事項をつくっていく必要があるというように思います。
私は、陛下自身の御意思を確認することが大事だと思うのです。なお、内閣は時の政治情勢によって変わるわけですから、第三者機関的な皇室会議のようなところで陛下の御意思を確認していただくことが必要ではないかと思います。
このころ山本〔信一郎・宮内庁長官〕は「両陛下は新聞、テレビをよくご覧になっているので、有識者会議の結果には落胆されているところもあると思う。有識者会議のヒアリングで『天皇はお祭り(祭祀)だけしておけばよい』といった意見が出たのは残念。あんな意見が両陛下の耳に入っているということを考えるだけでつらい」と漏らしていた。
天皇が保守派の意見にショックを受けたのは事実で、山本ら宮内庁側は天皇の意を受けて、人を介して有識者会議のメンバーに会議の方向性を問いただした。一代限りだが退位容認の方針は決まっているとの回答を得て、天皇は安心したという(井上 (2025, p. 211))。
象徴天皇制は戦後、国民に定着し、太平洋戦争の戦地を訪れて慰霊したり、災害現場で被災者に寄り添ったりする皇室の活動は深く敬愛されている。皇室典範は、天皇の地位は「男系の男子である皇族」が継承すると定めているが、男系男子にこだわった結果、皇室を危うくさせてはならない(提言)、2025年5月15日)。

この議論を集約していく上で重要なのは、国民が望む象徴天皇制とは何なのかという視点だと思う。男系か女系で二分される論点も民意に沿って集約されるのが自然だ。これからも象徴天皇と共に歩んでいく民主主義国家として、国会の責任ある議論で、多数の支持に応えられる方策を実現していただきたい(提言、2025年5月19日)。

もし、女性皇族(内親王、女王)が、男系男子ではない男性と結婚し、生まれた子供が即位すれば、それは日本の皇統断絶を意味する。正統性を少しも帯びない、語義矛盾の「天皇」ができる。国家としての日本のレコードも途切れる。
日本がもし、皇位継承の最重要原則を捨て女系継承も容認すれば「雑系」継承になる。それは大陸の易姓革命に等しく、歴代天皇にも皇統を守ってきたご先祖にも申し訳が立たないことになる(オピニオン、2025年12月27日)。
わが国が世界に誇る皇位は、今上陛下まで126にわたり継承され、皇紀2685年の時を刻んできた。その間、父方に天皇の血を引く女性天皇は8人いたが、母方に天皇の血を引く女系天皇は一人も存在しない。この二つは混同されやすいが、男系の女性天皇はあり得る一方、女性天皇の子でも父方に天皇の血を引かないから天皇になれないということだ。つまり、日本国民に慕われる皇室が今日存在するのは、男系継承という皇統の原則を守ってきたことが皇室の権威につながっていると考えていい。
歴史上、一人も存在しない女系天皇が一度誕生したその先、皇室に何が起きるかは、誰も予想できないし、責任を持てない。伝統を守ることに知恵を絞る重要性はここにある(論壇時評、2025年5月23日)。
高市早苗首相は先の党総裁選で、「次の二つ以上に大切なことはない」と言及。一つは憲法改正で、もう一つは「長い皇統を男系で引き継いでいけるようにすること」との考えを表明した。男系維持へのこだわりは、高市氏の首相就任も踏まえ、自民内ではさらに強まっているとされている。保守的な政治的立ち位置の小林氏を責任者に据えたこともその一環とみられる(朝日新聞「 皇位継承、遠い「立法府の総意」 女性皇族の配偶者と子、皇族とするか」、2026年1月8日)